なんとかなる日々

なんとなく きげんよく のびやかに。

回避と受容

ひとって、本当に不思議。

ある出来事があって、それをどうとらえるか。人それぞれ。
事実はひとつだけれど、真実は人の数だけある。

認知と感情と行動の相関図に、身体症状と出来事を加えるとこうなる。

ストレスで不調になるのはなんでかな、とか、いざってときにうまくやる秘訣はなんなのかな、とか、ね、この図は、そういうのを紐解いていけるヒントになります。

無意識を意識化していくと実現していくよ、とか、考えてることが現実に起こるよ、なんていう説から、イヤなこと、嫌いなことから、とことん離れていようとするんだけど、ただ、その流れで、苦手なこととか、ヤだなと思ったことを”回避”しちゃうと、悪循環にはまって、パニック症状になったり、強迫性障害がでちゃったりするんじゃないかなぁ。人によっては、手を洗わずにいれなくなったり、トンネルが怖くてたまらくなったり、ジンクスをかつぎすぎて線を踏んで歩けなくなる・・とか、日常生活に支障が・・・そういった症状には、暴露法(エクスポージャー療法)というので馴化(じゅんか)させていくという治療もあって、民間のBTCセンターとかありますね。暴露法ってのは「やってみると意外に大丈夫だった」ていう経験をして身体症状を治めていく治療で、やらずに避けて、不安だけをもって過ごしてると、過剰反応で、どんどん怖くなる、て言う理論。

出来事がおこって、そのことについての認知そのものを避けようとするのは、 ”回避” になっちゃうのでNGなんだな。

”回避”とは別に、”受容”というのがあって、受容ってのは、評価やジャッジをせずに、そのままを受け止めることで、ただ、そうなのか、と理解して、「今、それについて、そう感じている、そう思っている」と理解するだけで、そのうえで、特にどうこうせずに、次のことに意識をもっていく、というもの。

うーーーん、ムズカシイ。

人間は「自動思考」といって、いつも何かしら頭の中を「ことば」が走り回ってるので、それが浮かぶこと自体はコントロールできないのよね。
その、ふわふわ、ちょこまかと、とりとめもなく迷走している「ことば」はあるものとして、それに翻弄されないように、自分にとって「よりよい」方へとコントロールする。

ふわふわ、ちょこまかと、とりとめもなく迷走している「ことば」って、無意識っていうのかなぁ。自分の中にいる自分。自分なんだけどコントロールできないもの。ちいさな子供のような、と書かれているものもあるけれど、子供なんかじゃなく、もう、犬猫みたいなもの、と表しているのもある・・そういう部分がある、と思っておればいいのかなぁ。

そのちっちゃい子供みたいなもの、犬猫みたいなものを「事実」と認知しちゃうのが、きっとしんどくなる元なんかもしらんなぁ。

うーーーん、そうなのか?


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