なんとかなる日々

なんとなく きげんよく のびやかに。

ストレスふる or ふりー

イライラする、腹が立つ。
この感情が起こらないことがいいことなのか?
こういった感情が発生すると、「そうじゃない、そうじゃない」「そんなことで腹をたてるもんじゃない」「人は人、自分は自分」とかとかとか、あの手この手で自分の感情を言い聞かせようとしてる。

それってどぉなん?

怒りだけじゃなく、自分の中に発生するいろんな感情を「押さえつける」ってことが「ストレス」ってことじゃなかろぉか。無意識にいつもやっちまってる。

モンゴメリの「丘の家のジェーン」は笑うこと、楽しむことを押さえつけられてる。赤毛のアンはマシュウの死に感情をどうしていいかわからずに途方にくれている。
自分の感情を自分でちゃんとわかってやること。ストレスからの解放(おっ、尾崎豊風)はそこにあるかな。

わたしが人をみて、「うまいことさぼってんなぁ」とイラつくのも、あかんことじゃなくて、もう、そういうもんなのよね。だって、イラつくんやもん。
自分というものの容認とあきらめ。
感情は自然発生するもので、発生するもんは自分自身でコントロールできるもんでもないし。それを「そんなん思うもんじゃない」「怒ったらあかん」となると、きっとストレス一直線ってことやな。

ただ、その感情を、相手にそのままぶつけるってのは別の話で。それは大人げない。

あと、要注意なのが、自分のなかの「べき」。
働くべき、仕事するべき、遊ぶべき、勉強するべき、食べるべき、やせるべき、楽しむべき、友達つくるべき、恋愛するべき、子育てするべき、親の面倒みるべき‥って、ほんま?

この「べき」に抵触すると感情がささくれだってくる。
自分ルール、自分の基準、自分の「ふつう」。

居心地よくいたいから、身の周りはある程度清潔に片付いているのがすき。
それが「片づけるべき」「そうじするべき」になるとキリキリする。
だから「片付いているといいな」「クリーンアップされてると気持ちいいな」と、心地よくあるようにと願うようになってきた。

「べき」は、ルールじゃなくて、願いと祈りになるもんかな。


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