蔵書に「空気の研究 著:山本七平」があります。1921年生まれの著者です。
難しげに書かれているけど、ぷぷぷと笑える。
なんとなく、今、この本をもっかい読んでおこう、と思ったのよねぇ。
日本は「空気」によって動かされている!!!
統計も資料も分析も、科学的手段や論理的論証も一切無駄。
どんなに緻密に組み立てておいても、いざというときは、ぜんぶ消し飛んで「空気」に決定されてしまう。。ことになるかもしれないよ?だから、「空気」とは何かをちゃんと把握しておきましょう。という内容。
たとえば、会議で決まった事を、そのあとの飲み会で「あのときは言える空気じゃなかったよね~」と全く違う結論がでる、とかね。
対象を「臨在感的把握(目に見えないなにかが実際に存在しているように感じること)」で判断しちゃだめよ。それに、感情移入もだめよ~、と書かれていて。
赤ん坊が寒いだろうと保育器にカイロをいれて母親が機械を壊して子供を殺してしまった事件、とか、ヒヨコが寒いだろうとお湯をのませて全滅させてしまった事件があって、
善意・悪意とは関係ないところで判断しなくちゃいけない。
「善意でカイロをいれても赤ん坊が死なない保育器を作らない社会が悪い」なんてわけのわからんことになる。
「善意が通らない、善意が通らない社会は悪い」となってしまうと
「こういう善意が通ったら、それこそ命がいくつあっても足りないわ~っ!」という社会になってしまう。
この善意にみえる行為は、実は感情移入のなせるわざで、対者と自己との、または第三者との区別がなくなった状態。
こういう状態になることを絶対化して、そうさせないように阻む障害、対象を悪として排除しようとする状態・・・・。
怖いです。
AはBである。
だから、BでないものはAでない、というロジック。「わ、こわっ」と思ったのが、
・正義は必ず勝ち、正しい者は必ず報われる
↓
では、敗れた者はみな不義なのか。敗者が不義で勝者が義なら、権力者はみな義なのか。報われなかった者はみな不正をした者なのか。・正直者がバカを見ない世界であってほしい
↓
では、バカを見た人間は全部不正直だということになってしまう。・能力に応じて働き、働きに応じて報酬が支払われる立派な社会
↓
その社会で賃金の低い報酬の少ない者は、報酬が少ないという苦痛のほかに、無能という烙印を押されることになる正義のごとく絶対化されている命題も、すべて、一種の対立概念で把握されて相対化される。
善悪という対立概念で判断するときは要注意。
1.Aさんは善
2.Bさんは悪
ていう概念だけで判断しちゃだめで、
3.A&Bさんは善 それとも悪?
ていう概念も含めて、多方面から把握しないと「空気」の渦にまきこまれちゃう。
多数決って、AかBかを決めるものなんだけど、世界って、Aでもなく、Bでもなく、Cがあるし、Dもあるし、Zもある、ていう多様性を内包してる。
といっても、あまりに価値観の違う人を嫌悪しない度量は、実のところ私にはなくて、嫌いなヤツとはさっさと縁を切ってしまうのだけど、あるお友達から「嫌いな友達をいっぱいつくるといいよ」というコメントをもらって、それはなかなかすごいなぁ、そんなこと私にできるんだろうか、と思いを巡らせています。