なんとかなる日々

なんとなく きげんよく のびやかに。

理由なんてない 「急に具合が悪くなる」②

急に具合が悪くなる  著:宮野真生子 磯野真穂

哲学者と人類学者の書簡。興味深いことがいっぱい書かれてました。

宮野氏は医師に「急に具合が悪くなる」から準備するように、と宣告されます。
急に、とは3週間のこともあれば、3カ月のこともありえて、もう、通常の治療では対処できない病状を告げられます。哲学者は「なぜ」を考えます。

私たちの生きる現実とは、この一瞬にたまたま、さまざまな原因が重なりあって「いま」が生まれ、新しい予想もしていなかった未来が展開していく、そんなふうに成り立っているのではないか。

と偶然性について話が深まっていて。
「なんでわたしが癌で、もう手の施しようのない状況なのか」と、その「なんで」に軸を置いて語られていきます。

私たちの世界は、誰のせいかわからない不幸が、無理矢理誰かのせいにされたり、自己責任にされたりする状況。PDCA。何かには必ず原因があり、しかもそれは合理的判断によって避けられるという、現代社会の信念がもたらす不幸。 

わたしはこれまでの職歴で、アクシデント分析に携わっていて、ビジネスではPDCAって基本的な考え方ですよね。トヨタの「なぜ5回」とか、畑村氏の失敗学とか、衛生管理のHACCPとか。ものごとが起こったその原因をさぐって、その対処をとる。
因果関係をひもといて、再発しないように策をねる。
ビジネスでは「人」ではなくて「コト」に焦点をあてて分析をすすめる。

でも、このご本で、PDCAは不幸!? 
衝撃でした。「誰か」のせいになる。まぁ「ヒト」に視点があっちゃうと、そうなりますわねぇ。アクシデント分析は「誰か」ではなく「なにが」に軸足を置くものだけれど、一歩間違えると「誰が」にはなりますね、たしかに…それが不幸か…

人類学者が、とある民族で、不幸は「人の呪い」で発生するという文化があると語っています。ただ、呪いをかけた本人も自覚がないことがあって、だから誰もが妖術師になりうるという文化で、おこった不幸の原因(呪い)はその文化のなかで儀式的に解消されていくのだとか。そうやってその責任を社会に分散させるしくみ(妖術)が浸透していて、それは大変都合がいいしくみなんだとか。

哲学者は、こう返しています。

最終的に現実は偶然に左右されるものだからといって、努力すること、準備することを人はやめません。自分の力ではどうしようもないものがあるとわかっていながら、そこに立ち向かう。自分をコントロールしようとしている人たちは、最後の最後で、世界で生じることに身をゆだねることしかない。それは、どうなるかわからない世界を信じ、手を離してみる強さです。その強さをもつ人たちに私は憧れ、「いま」が産み落とされる瞬間に立ち会って時々泣きそうになります。

自分だけでなんとかしたい、がそうできない。
そこで見失っているもの。
それは世界への信と偶然に生まれてくる「いま」に身をゆだねる勇気

 「なぜ」がわからない状況に立たされた時、

わかんない、理不尽だと怒ればいい、そんなものは受け入れたくないともがけばいい。わかる必要などない。

目の前に合理的にみえる説明形式や、わかりやすい物語が提示されたとき、人はそれを受け入れるほうが合理的でラクで‥‥わからないものと対峙するのはしんどいし、怒り続けることも難しい。

とも書きつつ、「なんでやねん!」とわからなさの前で、流されそうになりながらも、自分の人生を手放さないために、哲学者は「なぜ?」を問い続けます。

鮮烈です。

その問い続けるための合いの手として、人類学者がいて。

すごいなぁ。


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