なんとかなる日々

なんとなく きげんよく のびやかに。

朔日詣で & あること ないこと

10月に入りました。最初の土曜日。恒例の朔日詣でにいってきました。
今日は、なんやかんやと朝でかけられず、ぼちぼちと日中にでかけてきました。朝はとてもいいお天気だったのだけど、お昼ごろから怪しい雲行きに。けど暑くなく、寒くなく、気持ちよくお参りしてきました。
ご縁のあるみなさまも、つつがなく、よりよくありますようにとお祈りしてきました。このブログを目にされたみなさまも、なにかのご縁。スターをぽちして、のっかってください。笑

------

さて、お仕事はリモートワークが続いています。
いまの世の中、セキュリティ的にもいろいろあって、貸与されているPCを頻繁にセットアップしなくちゃいけません。こないだも、あれこれしてね~、と連絡がまわってきたので、添付されている手順書をみながらポチポチ進めたのだけれど、手順書にはのってるけれど、わたしのPCの画面にはないものがある。

一緒に働く派遣の人たちとは、いつも社内チャットで言葉を交わしながら仕事してるので、これもすぐに、これってどぉするのぉ?と確認。みんな、同じく、ない。
どうも、社員さんの画面と、派遣の画面とは見えているものが違うらしい。
そのときは、自分たち(派遣のものたち)であちこちのぞいて、あ、こっちから入れるみたい、てのがわかったので先に進めました。

派遣の面々で「不親切よねぇ」とぼやいたのだけれど、でも、「ある」人からすると、「ない」ことってわからないねぇ、と気づいたのです。

これって、深いです。

自分では「ふつう」に「あるもの」だから、みんなもそうだと思ってる。
それがデフォルト(初期値)になったコミュニケーションになる。

むかし、私の倍の給料をもらっている女子から、収入の不満を聞かされたことがあるのですよ。なんていうか、そのこに比べて「ない」わたしが、なぜその愚痴を聞かされるのか‥。それとか、家族の話とかもね、祖父母、両親、配偶者、兄弟姉妹、子供、孫、親戚、実家‥その人には普通に「ある」話でも、あって当然として意見を求められると困ることがあるというかなんというか‥、健康の話もそうだし、あと、こないだは美容院でわたしが髪が多くて困ってる話しをしたら「髪のない人のほうが切実です」って美容師に返されて、それもなんか気持ちがざらついたのですよ。

なんだろうなぁ、比較されることで感じる違和感、なのかな。

あのひとにはあって、わたしにはない。
わたしにはあるが、あのひとにはない。

「ある」人は「ない」ことに思いがおよばないから「ない」ことで困ることがわからない。なくて困ったひとが「ないから困ってる!」と言わないと改善されない。
今回のPCのセッティングなんてのだったら事実として伝えるだけのことなんだけど。

そういうのじゃなくて、「ない」ことは事実なんだけど、自分が「ない」って言わなくちゃいけないシチュエーションって、「ない」自分を晒し者にする感じで、これはなんの罰ゲーム?かと思うときがある。

不愉快だなぁと感じたときは、それを表明できるといいんだけれど、表明することで、さらに自分を晒し者にしそうな場合‥‥わたしは、だまっちゃいます。
みんなは黙らずに闘うのかな。
弱みを見せた方がラクになる、とかいうけど、ほんとなんかな。

なんでもかんでも正直に言う必要はないので、ぱっと話題を変えたり、話しをちょっと盛ったり削ったり。自分が「ない」ことに気づいてへこんだときは、「あぁ、自分、へこんでんねんなぁ」としてスルーしたり。

こうやってちっちゃいところから、あることないこと、考えてしまう。これは煩悩?

五蘊 皆空  ごーうん かいくう
 五蘊(色・受・想・行・識という5つの感覚レベル)はみな空なり
 現象そのものは確かに存在するがあらゆる現象には色がついていない。
                             ~般若心経
人間には物差しがあり、基準があり、そうあるべきだという考え方があるから、そこに「思い」が生まれ、論評や評価が生じ、思いどおりにならないと否定することになる。悩み苦しみはそこから生じるのだ

 


スローライフランキング