なんとかなる日々

なんとなく きげんよく のびやかに。

不便だから得られるもの

「不便益 -手間をかけるシステムのデザイン- 編:川上浩司」というご本を読みました。便利だから益、じゃなくて、不便でも益、ていうのもありますよ、でもって懐古主義とかでもないですー、ということで、車の自動運転のこととか、コミュニケーションのこととか、アイデアだしのこととか、いろいろ書かれていました。

この趣旨の話は、結構いろんなところで目にしていて、たとえば萩尾望都の「スターレッド」という火星生まれの超能力者の漫画には、超能力が発達しすぎるとテレポーテーションできればモノを動かすという能力は不要になって、テレパスできれば耳も口もいらなくなって、透視できるんだったら目もいらなくなって、人間は石みたいになっていく、という説がのっていたし、映画の「ウォーリー」(原題: WALL-E)でも、宇宙生活している人間が移動ポットみたいなのに乗って寝たきり状態で暮らしているだけという設定なんか、もう、便利の行きつく先の世界観で(片づけ好きなわたしはMO(モー)というロボットがとても好き)なかなかシュールでしたよね。

生活はどんどん変わっていて、街中には自動ドアが普通にあるし、炬燵に座ったままでテレビのチャンネルも変えられるし、電話線なくても電話できるし、顔をみながら会話する「テレビ電話」も、全然普通に生活に入ってきてる。1950年に出版されたアイザック・アシモフの小説に「ロボット三原則」がすでに登場していて、子供の時、この小説を読んだとき、将来(未来)この三原則がもとになって開発が進むのかなぁなんて夢想してたのが、もう、「今」になってますもんね。システムが進めば進むほど、使い手は何も違和感なく 考えることもせずに使えるようになる、て学校の先生が言ってたのを思い出します。

知恵を使って、道具を使って、どんどん変えていくのが人間だと思うんだけど、そんな中で「人間らしさ」ってなんなのか、自分なりに「人間らしさ」をなくさないような知恵と工夫もいるのかなと思いつつ、でも、その「人間らしさ」がなくなることには、みんな 危機感が絶対にあるから、それはそんなに心配しなくても平気かなぁとも思っています。


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