なんとかなる日々

なんとなく きげんよく のびやかに。

「役に立ちたい」ってのは損なのか?

「あの子、うまいことやってんなぁ」とか「ずるいなぁ」と思うのは、自分が割にあってないって思いがあるからで、自分のしたことを損得にかけて、ちょっと得してるって思えてたらいいんだろうけれど「損ばっかりや」と思ってしまうと、どんどんこじれていく。

これまで沢山の企業で働いてきてる典型的ジョブホッパーなわたし。やりたいことがあったので3ヵ月~1年の短期派遣とバイトを渡り歩いてて、思い立って3年~8年ぐらいの社員経験もいくつかあって、その短期契約じゃないお仕事の辞め時というか「もうここで働くのはいいかな」と判断してきた基準のひとつが、自分の中でのお役立ち感。

単純に「つまらん」と思うときなんだけど、それをうまいこと伝えるセリフとして「わたしは、もうここでお役に立てると思えないんです」と言ってきた。だから、わたしにとっては「お役立ち感」が大事なんやなと思って、できることがあればやる、みたいにして仕事をしてきてる。できることをやって喜んでもらえるのが、ちょっと嬉しかったり、人がどうのより、自分が考えて自分のペースで動いてうまいくってのが楽しかったり。

ここにきて、メンタリストDaiGOの「なぜかまわりに助けられる人の心理術」を読んだんですけどね、なんでも自分でやっちゃいかん、ということが書かれてた。ふむふむ。

わたしには「自分のことは自分でやる」「ちゃんとやる」「できないひとを手伝う」が基本セットで折りこまれてる。子供のときから。
ただ、これだと隙がなくて人を寄せ付けないのだそうだ。

ひとは助けた人を好きになる

という法則があるらしい。だから、助けてもらう、手伝ってもらう、そのあとで、これでもかっていうくらいの感謝を伝える=相手の承認欲求を満たす→相手に好かれる という流れらしい。自分でできることも、あえて人にしてもらう。

ひとを動かす技術として、相手のメリットをおりこんで伝える、というのがあるのだけれど、そのことも書かれてた。

自分でなんでもかんでもやってしまわない・・簡単なようだけれど、わたしはずっとこれで四苦八苦してるのよねぇ、さぼる練習をずっとしてる感じ。

ある意味、相手に、わたしへの軽い共依存を作為的に発生させる技術よねぇ。
その場では心地よくても、距離をおいたとき、胡散臭いんじゃないかな・・・その胡散臭さをも感じさせないように精進するものなのかもしれないな、いやーでもやっぱり胡散臭いぞ。

ま、でも、仕事で少ぉし取り入れるぐらいはやってみようかな、せっかくだし。


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