なんとかなる日々

なんとなく きげんよく のびやかに。

つくり話

亡くなった人を思い出すとき、その人の魂が束の間この世に戻ってきて、悲しい思い出の時は頬を、嬉しい思い出の時は肩をそっと撫でていく。
こちらで思い出す時、天国で想い人の周りには花が降る。
お線香の煙は彼岸の人のごはんになる。
夢に見るのは、その人がわたしを想うから。わたしが想うからじゃない。

つくり話しでいいんです。
だれもほんとのことは知らないんだから。
自分で、そう思えばいいのですよ。

悲しいと思うことはイケナイことではないから。
あぁ、とことん悲しいんだな、と悲しくなるたびに悲しくなればいいと思う。
悲しいがつねにベースにあったとしても仕方ないじゃない。悲しいんだもの。
わたしはわたしで、ひとはひと。ひとを満たせなかったことを悔やんでも、それは自分の独りよがりな想いでしかなくて、実際どうだったかはひとの領分のことで、わたしにはわからない。わたしが今さらどうこうできることでもなくて。ひとを満たせなかった自分が悲しいのは、ひとを満たすことで自分が満たされていたからで、だから結局は自分自身が満たされなかった悲しみにずぶずぶとのみこまれてしまう。
それはそれで仕方ないじゃない。のみこまれるだけ、のみこまれていけばいい。
悲しいのは罪でも罰でもない。
なんでなんでと理由を考える必要もなくて、ただただ、安心して悲しめばいいのですよ。


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