なんとかなる日々

なんとなく きげんよく のびやかに。

お盆なので守護霊のおはなし

でかけると通り道のお墓にはどこもきれいなお花がいけてありますね。
お花屋さんもお盆のお花満載です。菊も好きなんですけど、お部屋で洋風に活けてみても、どうしても仏花のイメージになってしまって‥菊は剣山で和風の花卉(かき)にいけるのがいいですね。

さて、先日の癒しフェス探検で、おそるおそる守護霊のお話をうかがって、それが一番腑に落ちるという体験をしたところです。
そもそも守護霊ってなぁに?と、知識があまりにも少ないので、こんなときは本!と、さっそくご本を読みました。「守護霊 著:江原啓之」。はい、大御所です。ほかのご本は読んでないので、いろんな説はあるんだろうけれど、ひとまずこのご本、わたしにはとてもわかりやすいご本でした。ところどころ、これまた、ツボに入る面白さもあって、妄信することを揶揄してるのとか、笑いながら安心して読めました。

そもそもに、守護霊はずっと一緒にいてくれる、というか、この世に生まれて死ぬまでずーっと見守ってくれる存在、だから「一人じゃない」んだよ、と。ただ、物理的に近くにいるわけじゃないから、何か気配を感じるんだったら、それは守護霊じゃなくて憑依霊かもしれないから気を付けてね、と脅してたり(笑)。

この、物理的じゃく「側にいてくれる感」ってどんなだろうなぁと思う。

かつ、「守護霊は自分自身」でもある。そもそも「自分」は類魂(るいこん)というグループソウルの、水で例えるなら、その一滴が現世にきているもので、あの世(?)には自分のグループソウルがあるそうです。守護霊もそのグループソウルの一部 なので、まるっとみると、守護霊は自分自身、自分のすべてを共有している存在らしいです。

守護霊やグループソウルという応援団をもち、この世のバトンを握りながら、懸命に走らないのはとてももったいないこと。

あなたを見守っているといっても、「良いも悪いもあなたの味方」という意味ではない。「どんなときもあなたは無罪」ではない‥道を誤る人に対して守護霊は「仕方がないね、転ばなければわからないでしょう」と見ている。‥自分の間違いに気づけないのは未熟だからで、その未熟さは転ばなければわからないときもある。自分の未熟さからの行動を、守護霊がとめてくれなかったせいだというのは依存。

たしかに、なんでもかんでも守護霊のせいにしたり、いちいち確かめたりしてたら、誰の人生かわかりませんもんね。

守護霊は、本人が主体で生きることを妨害するような手助けはしない。

なるほどなぁ。
守護霊に尋ねるときは、それなりに腹をくくってたずねなさいよ、痛いことも言われるよ、で、それに従うかどうかは、自分で決めることだよ、と。
目にすること、耳にすること、どれかがメッセージかもしれないけれど、それが妄想なのか、メッセージなのかを判断して 分析するのは自分。自分の力をちゃんとつけなさい、と書いてある。

守護霊は人生をなんとかしてくれる魔法使いではありません。なんでも教えてくれるわけでもありません。その勘ちがいを正さないうちは、メッセージはあなたにやってこないと思ったほうがいいでしょう。

自分が弱気になっているときは、誰かに励ましてもらいたいという気持ちもわからなくはありません。
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何が正しくて、何が間違っているかを、はっきりと言うことが難しい場面は、多々あるのです。
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自分にとって必要なことしか、人生には起きない。ですから余計な心配をするよりも、どんと構えて、生き抜けばいいのです。
あなたはひとりでもないし、孤独でもない。
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守護霊に話しかけたりお願い事をしたりするくらいならば、守護霊だけでなく、すべての人、そして自分に起こるすべてのことに感謝しているほうがずっと幸せに気づけます。 

京都の修学旅行生のたとえ話とか、おなかをかかえて笑ってしまいました。目に見えないものなので「あやしい」んですけどね、わたしにも、みなさん全員にも、応援団、チア・グループがついている。なんか、楽しくないですか?


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