なんとかなる日々

なんとなく きげんよく のびやかに。

ちっちゃい自分を許す

喪失感を感じるのは、所有欲や執着心が強いからなんだろうか‥

「それは自分のモノ」という意識が強ければ強いほど、それがなくなったとき、悔しかったり、淋しかったりするのが大きい。
そもそもに自分のモノじゃないってわかっていれば、自分の手を離れたとき、悔しくもないだろうし、自分のじゃないのに自分が持ってたことに感謝?というか「ラッキー」って思っていられる‥‥もんなんだろうか。

それはモノだけじゃなくて、人、家族とかパートナーにも言えることかだったり、そもそもにこの自分自身の肉体に対しても、そうなんかもしれん。

いやね、雨の日には、ふわっと、とある職場で傘をよく持っていかれてたことを思い出すのですよ。わたくし、自転車で傘をさして通勤してたのですが、視界確保のために透明ビニールの70cmを超えるおっきいので、風に強いのを、わざわざ探して入手していたのです。コンビニのとか、100均のとかではなくて。
それを傘立てにたてておくと、残業後、夜も遅く、雨の中、さぁ帰ろう!と戸締りして玄関をでようとするときに、自分の傘がなくなっていて、しょぼい50cmサイズの半透明(透明じゃないやつ!)のビニール傘しかない、もしくは1本も傘がない、てことがよくありまして。よく怒髪天になってました。
ある日、外回りから帰ったとき、実は仲が良いと思ってた人も私の傘を勝手に使ってるのを見かけたことがあって、ショックが大きかった。仲がいいと思ってたその人には、いつも「傘がなくなるのよねぇ」と話していたのに‥傘の柄にシールを貼ったり、名前を書いたり、名前のタグをつけたり、といろいろ工夫しましたが結果は変わらず、とうとう最後は自席に持ち込んでいました。

余談ですが、透明傘がなくなるので、普通の傘を置き傘に1本置いていたのですが、それすらも使われて返ってこず‥その傘、あるとき上司の自宅にお邪魔したときにそこにあるのを見つけて驚愕‥ってことも記憶に鮮明です。そういう会社だったんですね‥。

モノを貸すときは、返ってこなくても仕方ない、と覚悟をして渡しています。
それでも、返ってこないと、やっぱり記憶に残るんですよね。子供の頃の、貸したガラスの仮面とかキャンディキャンディとか、返ってこなかったり、表紙がなくなってぼろぼろになって返さたり、数十年前の出来事だけど、わたしはそれすら忘れませんもの。
大人になってから、話しが合うと思っていた人に貸した本も、やはり返ってこなかったこと、ありますし。

それは、気に入っているモノが手もとに戻ってこなかった、ていう残念さと、カリパクする人だったんだ、という信頼を裏切られた感が相乗効果となって、自分で思う以上にダメージを受けてるんですよね。

ネイティブアメリカンの言葉で「モノにはそれを持つ順番がある。自分の番が終わって次に廻ったんだ」てのがあって。まぁ、そういう境地になれるもんだろうかとやってはみるものの、ワタシにはムリ、ですね。

で、わたしのこの煩悩、所有欲は、きっといつまでも、なくならないんだろうなぁ。
所有欲というか仲間意識が、強いってわけじゃなくて、ほどほどにあるからこその、裏切られ感だったり喪失感だったりするわけだから、自分がそう思う「ちっちゃい奴だ」ってことを自分に許せばいいな、と思うようになりました。
そう、わたしゃ、ちっちゃいんです。

諦め、とも違うんですよね。
もう、それでよし、自分。

喪失感で書いたように

負の感情にみえるものをゼロにするのではなく、なんというか、そこ(自分の中)にあるものとして認めて、抱きしめていく

 ことのひとつかと思います。
諦めることと、手放すことと、忘れることと、許すこと。はぁぁぁ~‥‥

 


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