なんとかなる日々

なんとなく きげんよく のびやかに。

ルーツ なのか?

むっちゃいいお天気で、まるっと一日フリーで、なんでもできそうな。
窓全開で、ゆるゆると掃除して、洗濯して。

おかげさまで、母の抗ガン治療は6か月をむかえ、予定していた投薬点滴クールはすべて終わり、心配しているリンパにとんでいるガンもおとなしく抑え込めているようです。投薬終了前の2月は貧血がひどくて、初めての輸血。病院の事前説明で、輸血の怖いお話をあれこれ聞かされてびくびくしましたが、副作用もなく、本人にはパワーチャージされたような劇的な効果だったらしく「2-3歩あるくだけで息が切れていたのが、ちゃっちゃと歩ける。もっと早ぅにしてもうとけばよかった」との談。
輸血も副作用がでることがあるので、と家族付き添いを求められたのだけれど、ウィルス騒動でわたしは遠ざけられて、父が付き添いました。

4月に入った現在も、わたしは母に会うのはやめています。
メールと、電話で声を聴くだけです。それでも、きゃっきゃとあれこれ笑って話してます。

両親ともに四国の田舎の出身。両家ともに農家。結婚して、父の仕事の関係で関西に居をかまえ、そこで子供が生まれました。
わたしからすると、都会暮らしとは縁遠かったのだろうと思っていたのだけれど、今になって話を聞くと、東京で働いていたことがあるらしく。そういえば聞いたことがあったような‥でも気にもとめていなかったことが、今になって、あぁ、そうだったのか、と新鮮に思えます。

若かりし母は、日本の結構有名どころの化粧品メーカーの高級ブランドのマヌカンとして東京に就職。研修をうけ、日本各地へ「東京のマヌカンがくる」という冠で化粧品販売にでかけていたそうです。(本人は四国の田舎もんなんだけどなぁと思いながら)当時のマーケティングのこととか語ってくれました。
販売員の女性たちを育てることで付加価値を高める売り方。平均月収の3倍ほどの価格の美容商品、相手は富裕層。それなりの知識、立ち居振る舞いを研修してくれたとか、東京では山手線の身動きとれないほどの満員通勤電車が日常だったとか。ただ、母は早々に母親(わたしの祖母)がガンで入院することになって、その看護のために退職して実家にもどったそうです。母方の祖母は、わたしが生まれる前に亡くなっています。

今もあるその高級化粧品メーカー。Webサイトを見に行くと、当時の研修風景の白黒写真が掲載されていて、もしかしたら母が写ってるかもしれんなぁなんてみていたら、ひょいと夢をみまして (人の夢の話なんて興味ないでしょうけど、すみません)、若いころの母がミスユニバースの舞台に立っているのを、今の私が見てる、という夢。
なにやらニヤニヤしながら目が覚めました。
親ばかならぬ、娘ばかですね。


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