なんとかなる日々

なんとなく きげんよく のびやかに。

じじばば本

高齢者っていうか、じじばばが活躍する本も好きです。
玄冬小説というカテゴリーを知りましたが、この「玄冬小説」っていうのも最近できた言葉ですよね。だから、じじばばが活躍する本って、背表紙とかから「これ」ってわかるの、少ない。

そんな中、見つけた1冊です。

九十八歳になった私 著:橋本治

「おらおらでひとりいぐも」の対をなすかなぁ。「おらおらで‥」は女性の一人語りだったけれど、この「九十八歳に‥」は男性の一人語り。そもそもが、作者(68歳)が、30年後の近未来の話を書いてほしいと編集者にもちかけられて、じゃぁ、て、自分が98歳になったときを想像して書いたそうです。おもしろい。

東京大震災後、地方の仮設住宅で一人ぐらし クローン操作でプテラノドンがいる、という設定。

珍しい 起きてすぐ目の焦点が合っている。もうすぐ死ぬのかもしれない
変った事があると、死の前兆かと思う。別に、死ぬのがこわいわけでもないが、死ぬとなると「ああ、これで終わりか」という気がちょっとだけする。

これ、なんかあると、「なにかあるのかな」と勘繰る今の自分。守護霊の本で江原さんが、京都のおたべ人形が頷いてるのを見て「お告げだ」と考えるばからしさを笑っていたのが思いだされる。

頭の中ではみんな「こないだ」だ。自分で「十年前ぐらいだろう」と思っていても、もっと全部前だしな。主観的な時間と外側の時間が一致してたのは、いつまでだろう?

周りの「おじさん」と思ってる人たちが、いつのまにか年下やもんなぁ。TVでみる高校野球のおにいさんたちは、いつも、なんだか自分よりも「おにいさん」なイメージですし。

やばくなると「あ、痛ぇ、う、痛ぇ」って騒ぎまくって、立ち上がろうとしてすっころんで、「どうしたんですか」とひとがやってくる仕組みになっている。苦しいとどうしても「放っといてくれ」にはなんないな。苦しいことが「生きたい」と思うものの命の叫びであるにしろ、俺なんかもう、ホントに死んでていい年なんだから、「生きている証」にやってこられても困るんだよ。

もういいかな、と思いながら、苦しいのはイヤ。

少しはストレスをためて寿命を短くしようと思って、頭を理性的な方向に持ってこうとしてんのに、あまり効果はない。「いい人に見せたい」というのは、ストレスにならないんだろうか?ならないのかもしんねぇな。この世はいい人だらけだし。

ストレスためようとしても、「いい人」に囲まれてて、ストレスにならない。理想。おそらく、自分の受け止め方次第で「いい人」だらけになるんだろうなぁ。

立って鍋に湯を沸かせてられるのは、幸福だと思わなけりゃいけないんだな。

これは、ほんとにそう思う。

「せつない思い」ってのは、結局のところ執着心だし。

執着と愛の違いって難しい。愛は‥よくわかりません。

長く生きると、飽きるんだよ。生きることにじゃなくて、いろんなものに。長く生きてるとどうしても「これ、前に見たことある、これなら知ってらぁ」という気分になって、なんにも反応しなくなるんだ。空行く雲は毎日見てても飽きないけど、人の作った娯楽には飽きますね。

飽きないものがある、ていいな。 


スローライフランキング