なんとかなる日々

なんとなく きげんよく のびやかに。

そこにおってくれるだけでえぇねん

わたしがまだ小さい子供のとき、父や母の里はまだ水洗トイレではなくて、母屋とは別棟にお風呂やらお便所がありました。なので、一人ではとてもじゃないけれどトイレに行けなくて、母や従姉についてきてもらっていました。「そこにおってね!」と念を押して。戸のかんぬきをかけずに、押さえてもらっていたり‥‥よくよく思い出してみると、そういえば、通っていた保育園も水洗じゃなかった‥お友達に一緒に行ってもらって、ドアを押さえてもらってた‥それが、なかよしの絆だったりしたなぁ。

「悟浄歎異 著:中島敦」でね、沙悟浄が夜、木の下で悟空やら三蔵法師やらと4人並んで横になっているのだけれど、一人で目が覚めて、「何かひどく寂しい。自分がたった一人で立って、真暗な、冷たい、何にも無い世界の夜を眺めているような気がする。」て思う。そのとき、横にいる三蔵法師の「静かな寝息を聞いている中に、俺は、心の奥に何かがポッと点火されたようなほの温かさを感じて来た。」と描写されています。

「かかわり方のまなび方 著:西村佳哲」で「深い呼吸、その人が座っていると、それだけで安心感がある。その人の前だったら本音で話せる感じ。黙ってそこにいるだけで場が深まっていく。呼吸は大事。しっかり呼吸している人が同じ場にいるのは大事なこと」というのを読みました。たしかに、私もかかわるなら、自分のありようを受け止めて、そこで自分を肯定している人とかかわりたいなぁと思う。でも、自分はまだまだなんで、「そうあろう」とする人とかかわっていきたい、かな。

限界費用ゼロ 著:ジェレミー・リフキン 訳: 柴田 裕之」に「共感とは。他の人間であれ、他の生物であれ、相手にいずれ訪れる死の気配と、目の前に存在する命に対する賞讃、相手の喜び、悲しみ、希望、恐れを感じ、自分の命に対するのと同じように、命はどれも心もとないものとして相手の唯一無二の命を認識し、他者が繁栄するよう応援し、相手の生涯に秘められた可能性のすべてを自ら実感し、地球上で生命の旅をする仲間として連帯の絆を認めて、互いの存在を祝福する私たちなりの方法。」とあったのを思い出して。なんというか、共感というか、そこにいてくれる、という信頼と安心なのかなぁと。

 そこにおってくれるだけで、えぇねん‥‥ むっちゃ、いい関係やなぁ、と思う。


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