なんとかなる日々

なんとなく きげんよく のびやかに。

父 5

四十九日という風習。
お逮夜(おたいや)、亡くなって七日ごとに、あの世でいろんな仏様と面談が行われる(らしい)のを、この世から援護(?)、応援(?)するというもの。四十九日まで毎週、全部で7回ある。

やさしいしくみだなぁ、と思う。遺されたものが寄り集まるタイミングというか。
七日ごとの四十九日のあとは、月命日、百か日があって、初盆に、一周忌に、と。。。これも少しずつ間隔がゆるやかになっていくんですよね。

あの世から誰も戻ってきてないんだから、この7日ごとの裁きのこととか、本当のことかどうか、わからない。でも、連綿と今現在まで語り継がれているってことは、それだけ、このお話しに、みんなが癒されているってことで、知恵と優しさがつまったストーリーテラーの先人のすごさよ。

やさしいしくみ、なんだけれど、五なのか(いつなのか)、六なのか(むなのか)と進んでいくと、生まれ変わりのお話しになって、なんだか「あぁ、おとうさんは、私のおとうさんじゃない人になるのか」と、それはそれで無性に寂しくて。

以前、親をなくした知り合いが「背中をもたれかからせなくなって心細い感じ」と言ってたり、また別の子が「人ってほんまにいなくなるんやと思った」て言ってたのを思い出したり。

わたしは、電車に乗ったり街にでたときに、たくさんの人がいて、みんな楽しそうに話したり笑ったりしてるのに、こんなに人がいっぱいいて、きらきらと今生きてるのに、おとうさんはここ(この世界)に、もういないんやなぁ、なんでかなぁ、と、わからなくなって、淋しく悲しくなって、まだしくしく泣きそうになってる。

なんとなく、ちょっと遠い外国航路の航海に、またでかけてるだけのような感じでもあるんですよねぇ。


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