なんとかなる日々

なんとなく きげんよく のびやかに。

目が合う・・・慎み深いって?

男女のお話ではなく・・・

たとえば、スーパーで山積みになって売られているナス。どれもそんなに違わない。どれにしようか迷います。あきらかに傷がついてるのとかは除外するとして、あとは、なんとなく、目が合ったのを買うことが多いです。あと、全体を俯瞰して「うちに来たい子はどれかなぁ」と、ぱっと目についたのとか。

お花のレッスンで、花材を選ぶときも、状態がよさそうで、たくさん咲きそうで、枝ぶりがいいの、と選んでいくのですけど、迷ったら「目が合ったの」となります。

「どれ選んでもいいよ」

といわれると”いいやつ”が欲しいと思って、どれにしようかなぁと選んでいます。

これ、ふと思うのです。

これは、がっついてることになるんだろうか? 
関西弁でいうところの”がめつい”?

「がめつい」は、あまり印象のいい言葉じゃない。ええとこどり、ひとりじめ・・・私の中では、がめつい=下品に紐づいてる。
じゃ、その反対はなんだろう、と考えたら「慎み深い」というのがでてきました。

慎みは真の徳、なんて書かれてるのもありまして、単純に 慎む=遠慮する じゃなさそう。我も我もといっちゃうのは、自分の内面をさらけ出してるのと同じなのだとか。外から丸見えの内面、と思うと確かに怖い。慎み=さらけださない=自分を守る となる・・・・のか?

でも、「人にどう見られるか」が基準になると身動きとれなくなる。多少は必要と思うけれど、気にしすぎてもねぇ。

じゃ、自分はどうしたいか、どう見られたいか、かな。とすると、スッと姿勢よくスマートに、バタバタせずに、いいモノを選んで、手に入れる。

うん、これだ。
やっぱり、いいモノを手に入れたい。

あ、そうか、バタバタしなくても、いいモノは手に入るな。
慎み深く、いいモノを手にいれていけばよいな。


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