ひゃー、ビールのおいしい気温(25℃越え)になってきましたねー。わたくしはバドワイザーが好きです。そういえば、むかぁしOPENイベントでバドガールがやってくるというお店に、わくわくして行ったことがあります。女子だって、きれいなおねぇさんにはワクワクするもんです。眼福ですねぇ。
さて、冷えたビールやら、冷えた白ワインやらをおうちで飲みながら「技法以前 著:向谷地生良(むかいやち いくよし)」を読んでいます。まだ途中ですが、面白すぎです。
なんかね、「人から切り離されないために、上機嫌で前向きを装い、疲れ果てる」という文があって、これ、ありがちだなぁと。
そもそもに「機嫌よくあるのはマナー」というのが、私の中ではひとつの基礎となってるんですけど、機嫌よく「装う」っていうのは確かにしんどい。(あ、しんどいって関西弁だそうですね。標準語では”疲れる”が正解?) 感じていることと違うそぶりをするってどうなんだろうなぁ。わたしの場合、無意識にやっちゃうとボディブローくらったみたいに自分が弱るけど、わかってやってる分には「へへん、自分って大人ぁ」と思える。うまくできなくて、つい相手に不愛想にしてしまったときには「ごめん、今、機嫌悪い」と謝ったりしてますね。人と接するには、相手に不快感をあたえないためにも、自分が機嫌よくしているっていうのが望ましいけれど、人間だもの (by あいだみつを)機嫌悪いときだってありますよねー。それはそれでよしかなぁと、ある意味、自分を諦める(四六時中機嫌よくおれるわけあらへんやん)ってのも必要ですよね。
このご本で、「残念ながら、あなたは、今100点満点なんですよ」という現状把握があって、そのことばは「ぼくを探しに 著:シェル・シルバスタイン」を思い起こさせました。人は欠けた部分があって、そのかけた部分を探すために転がる(生きる)という版と、他者にその欠けた部分を求めるんじゃなくて、自分が全円になっていく、とする続編版の絵本です。欠けてるように思うけども、実は、今、そのままで100点。欠けてることも含めて自分をまるっと肯定する、自分で自分を肯定する、ていうのは気持ちいい。
リアル・トランサーフィンでも今現実に自分の周りにあるものが、自分が選んできた結果で自分の願いが現実化したもの、という考え方があって、想いを言葉にすることで現実化するという手法があるのだけれど、これも、この本に書かれている「ナラティブ・アプローチ」という手法と、なんとなーく私の頭の中でつながってきてます。この方面も掘っていくと面白いかもしれない。
統合失調症への対応を中心にまとめているご本なんですけど、ものすごく面白いです。