なんとかなる日々

なんとなく きげんよく のびやかに。

たし算 と ひき算

取り入れる分より 使う分が多ければ、持ち分が減っていく、はず。
消費カロリーより摂取しないようにすれば、徐々に体重は減少する、はず。
簡単な算数なんだけどなぁ‥‥なかなか思うようにいきませんわぁ。

もひとつ簡単な算数で、入る分より使う分が少なければ貯まるし、使えば遣っただけ減る。これはお金の話。お金そのものだけに注目すればそうなんだけど、お金って「何かに換えるもの」なんですよね。だから持ってるだけで価値があるかどうかというと なかなか微妙。「お金持ちになりたい」と思うけれど、お金持ちになった その先は?
 お金を持つ→お金を遣って物を買う→お金持ちじゃなく「物持ち」になる
わたしは「物持ち」になりたいのか?‥‥んにゃぁ、あきらかに なんか違うんだなぁ。

お金は寂しがり屋で、あるところに集まってくる、とか
金は天下の回りもの‥だけど回る道が決まってるから そこに行かないと回ってこないよ、とか
お金はちゃんと数えてくれる人のところにくる、とか、数えもしない人のとこにはこない、とか
ただ貯まってるだけだとお金がつまらなくなって出ていくよ、とか。
1円をないがしろにする者は 1円に泣かされる、とか
金のない奴は俺んとこへこい 俺もないけど心配するな なんとかなる、とか(これ言いたいし、こんなこと言うやつらと友達でいたいなぁと思う)
黄色い財布がいいとか、長財布がいいとか、飛び込んでくるようにお札に書かれている顔が下になるようにいれといたほうがいいとか、とかとかとか。

それぞれに ふんふんと思うけれど、お金についていうならば、手元に残るのは、単純にたし算とひき算したその結果だけなんですよねぇ。

せっかく手元にあるお金、これを使って何をしようかなぁ、何ができるかなぁと考えるのが楽しい。で、その考えた楽しいことにお金を遣ったり、日々の暮らしのため、安心のためや、時間のため、自分になにかしらしてもらったことへのThankYouの気持ちとか、相手がこれからきっともっと楽しく嬉しく良くなるだろうエール(応援)のためとかに (できれば盛大に)使いたい。

人が信じられなくてお金だけを信じてる、というお話は結構あるのだけれど、このあいだ読んだ「おしかくさま 著:谷川直子」という本に、「お札はただの紙切れ 。お金を信じられるのは、人がみなこの紙切れを信用しているから、 つまり、お金を信じているはずが、 一番信用のおけない無数の人間を信じていることになる、 お金を使わないで貯めて増やしたいと思うのは、 お金以外のものの価値がほんとうはわからないから。なんという皮肉でしょう。 お金の虜であるということが、 無数の人たちを信じることになるなんて」という一説があって、そうよねー、と膝を打ちました。

お金(=人)。夢があって大好きです。


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