聞かれたことにどう答えるか。
右の頬を叩かれたら左の頬をとか、正直 真面目 素直が一番とか、寄付できることに感謝をとか、一見良識ありそうなことばに、実は洗脳されているんじゃない?自分じゃない誰か、なにかにとって都合がいいような思考に誘導されてない?
疑ってかかるとキリがないけれど、さて、では何が自分の選択なのか?と立ち戻ると不安がいっぱい。
木こりが落とした斧を、水の精が「あなたが落とした斧はこれですか?」と聞くやつ。斧の性能としては金より鉄だろう・・ただ価値があるのは、やはり金?「自分が落とした斧はどれか」というのであれば、素直に「鉄の斧」が正解なんだろうけれど。
「それ、自分のです」と言ったら「それ」が手に入るのだったら、なんて答える?
目の前にダイヤモンドと水があって、どっちが欲しいと聞かれたらどう答える?
その物質の「価値」をどうとらえるのか。もし砂漠でのどが渇ききって行き倒れた状況だったら迷わず「水」。身体の痛みが全部消える魔法の「水」だったら迷わず「水」。このあと一生請求されない水道代ってことなら、これも「水」。世界でもとても高価な卵ほどの大きさのイエローダイヤモンドを提示されたとしたら・・・・身に着けるにはちょっとなぁ・・・重いぞ・・・転売してお金を手にする?・・だったら欲しいのはダイヤモンドじゃなくてお金じゃんね・・・あ、一生分の水道代ってのもお金か・・・卵ほどじゃなくて、しゃれたデザインの襟元で綺麗に揺れて光るネックレスとかだったら、ダイヤモンドもいいなぁ。
価値観ってその時々でくるくると変わる。
その時その時で「ほしい」と思うものを素直に手にしたらいいのよね。断捨離とかで、古いものを手放すと新しいものが入ってくるとかいうけれど、古い愛着あるものを持ちつつ新しいものもどんどん手に入れていけばいいのよ。なんで手放す必要があるのかしら。少ないモノで暮らすことがスマートみたいにほめそやされてるけれど、ほんと?いいじゃない、好きなものに囲まれてすごせれば・・・
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完全に、大掃除からの逃避にはいってます。