関西は雨もあがって入道雲が出現してます。気温もじりじりと30度を超えて湿度57%。風があるから、まだいいかなぁ。
「野の医者は笑う 心の治療とは何か? 著:東畑開人」に、「この世界では精神医学が言う"軽い躁状態"を一番元気な状態だと見ますね‥軽い躁状態を、よくなる、と言います」と書かれていて、おぉっと思いました。
自分のニュートラルが、躁鬱でいうところの、どのあたりが平常なのか。これって人によりますよね。
「悟浄歎異 著:中島敦」で、沙悟浄が悟空を、「悟空の身体の部分部分は-目も耳も口も脚も手も-みんな何時も-嬉しくて堪らないらしい。生々(いきいき)とし、ピチピチしている。殊に戦う段になると、其等の各部分は歓喜の余り、花にむらがる夏の蜂のように一斉にワァーッと歓声を揚げるのだ。」と表現している。
悟空の毛の一本一本が嬉しくて総毛だっている感じかな。いわゆる、いつも「上機嫌」。
ふだん、こんな感じの人はわたしの周りにはいない。ま、友達と会ったときは嬉しくて双方がこんな感じになってるときはあるし、学生時代の集まり(ライブや飲み会)なんか行くと、テンションあげあげです。でも、それって、たまぁにだから。毎日がそうはならなくて、実際、思い起こせば、学生時代だって、そんなヤツらと一緒にいたからといって、ずっとそんなでもなかったですしねぇ。メディアで活躍される方々は、おそらく、そのキャラクターを演じられているだけなんだろうとも思ってる。
となると、自分のニュートラルってどのあたりかなぁ、と。わたくしは、一人でいるときは、基本、うだうだですね。少ぅし鬱に傾いた感じがラク。たまに、はりきって掃除したり片づけたり出かけたりしてるときは少ぅし躁に傾いてる。人と対するときは、マナーとして「機嫌よく」、少し躁加減になるように、ニュートラルよりはあげて。
あぁ、だから、わたし、人に会わないと、少し鬱傾向になり続けてしまうのがわかってるから、人に会うように自分をもっていってるんだな。おそらく、少し鬱っていうのでも困らないはずで、少し躁だからといって健やかってわけでもなくて。でも、少し鬱で居続けるのは、なんか、自分で怖いんだろうなぁ。
究極に健やかな人って、おそらくいなくて、みんな多少なりとも病みながら生きていて、それを受け入れたうえで、自分の腑に落ちるところでいるのが、らくなんだろうなぁと思います。いや、あたりまえのことなんですけどね‥。自分に無理をしないように。ただし、人と対するときは、それなりにお行儀よくしてる、というのを自分でわかってたらいいかな。
うだうだ考えてますけど、お友達に会うのは、いつだって楽しみです。何も考えずに、ぷわっと楽しくなる、ていうのはいいですねー。あ、楽しい、っていうのと躁鬱は関係ないかもしれんな。いうなれば、少し鬱なわたしの「楽しい」感じ、てところですかねー。
うん、楽しもう。