なんとかなる日々

なんとなく きげんよく のびやかに。

発達障害 ~【読了】されど愛しきお妻様 

近年「発達障害」ということばを普通に見聞きするようになっています。自閉スペクトラム症、注意欠如・多動症(ADHD)、学習症(学習障害)、チック症、吃音‥音に敏感、とか。光に敏感とか、ものすごい集中力があるとか、単純な繰り返し作業が苦じゃないとか‥自分にもあてはまることも多々あり‥音楽の練習なんて単純なことの繰り返しで、何時間も何日も何年も同じことを繰り返して技術を磨いていく。ある意味、この集中と継続力がなければ身に付かないものだと思う。そして、今世間を騒がせている大坂なおみ選手が鬱との表明をしているけれど、スポーツだって集中と繰り返しの継続、心因性の症状があることも、さもありなんと思ってしまう。

そんななか、オンタイムで読了。

されど愛しきお妻様 著:鈴木大介 
 ~「大人の発達障害」の妻と「脳が壊れた」僕の18年間

一気読みしてしまいました。おもしろかった。
41歳で脳梗塞で倒れたルポライター高次脳機能障害となった夫が、発達障害の妻との闘病生活となり、妻を理解できる夫になり、生活環境が大きく変わっていく実話。

不自由を障害にするのは、周囲の環境であり家族であり、社会。
少し足の不自由な人がいたとする。彼の足は不自由だがみんながゆっくりと歩く環境の中で彼自身も無理せずに歩けるスピード歩いて行く分には、彼の不自由はさほど不便を感じさせない。この段階では「不自由は障害になっていない」。そのスピードを強いられる集団の中にいたらどうか。彼は無理して求められる速度に合わせようとしてつまづいたり転んだり、早歩きできる人の邪魔になったりするだろう。周囲の速度に合わせられない自分をもどかしく思うだろう。この時点で初めて、その不自由は「障害になる」のだ。

たしかに。

1950年代までの日本人の多くは第一次産業農林水産業)で働いていたが、60年代には第二次産業(工業・製造業)が主になり、高度成長を経て1975年には第三次産業(商業・サービス業)が過半数となり、現代日本では70%がこの第三次産業に従事している。
第一次は自然に働きかける仕事で、第二次もモノに働きかける仕事で、発達障害当事者にはある意味向いている仕事であった。たとえ不愛想でも偏屈に見えても問われるのは職人としての仕事で、むしろ常識知らずは独創を生み、わき目をふらぬ没頭は天分や才能とみなされた。だが第三次は「ひと」に働きかけることを仕事とし、対人配慮性や対人協調性が求められる。そのなかで不定形発達の人々のパーソナリティが障害特性となり、周りからはじき出されやすくなった。

社会のありようもサービス業中心の現代だからこそ、時代によっては「パーソナリティ」になることが「発達障害」となっていく。

このあたりの考察もとてもおもしろく、それ以上に、ご自身のお妻様とのなれそめや、暮らしぶり(奥様の愛すべきキャラ)などに引き込まれて一気読みしちゃいました。

おすすめです。

 

 


スローライフランキング