なんとかなる日々

なんとなく きげんよく のびやかに。

本当の自分?

そもそもに「自分」ってなぁに?

本当も嘘も、ここにいる自分が自分なわけで、探さないといけないような「自分」は
ないと思ってます。で、答えもぜんぶ自分の中にある。

記憶喪失のお話や、病気で記憶がなくなっていくようなお話を耳にすると、
「ひと」は記憶でできてるのかなぁとも思います。
自分がどこの誰かわからなくなる不安感とか、出生がわからなくて、自分のルーツが知りたくて探索する気持ちとか。

”記憶は脳じゃなくて「魂」に記録される” と書かれているご本(「あの世に聞いた、この世のしくみ」 著:雲黒斎←口にだして発音しずらい )なんかも最近読んで、ふむふむと。

じゃ、魂ってなぁにぃ?となるのですよねぇ。→このあと禅とかに興味が流れていきます。

「ひと」は何をしたって必ず最期があって、これもどこかで目にしたことばなんだけど
   「どうやったら死ねるの?」
   「生きていれば死ねる。人は必ず死ぬから」
ていうのがあって、これ、結構好きです。

ひとは遺伝子の乗り物、ていう説もちょっと衝撃だったのですよね。
わたしが遺伝子を次に繋げなあかんのや!という意識よりも、連綿とわたしへと続く遺伝子のつながりを想像して、ぽわぁ~っとあったかくなったというか。
実際に知っているのは祖父母までなんですけどね。
そのまた昔につながるご先祖さまがたくさんいらしたということで。
今が、そんなつながりの最先端であるわけですよ。

読書歴の記憶から、
「リリィ、はちみつ色の夏」著:スー・モンク・キッド
14歳の父子家庭の白人の女の子が黒人の家政婦と家出をする話。
1950年代ぐらい アメリカ南部が舞台のお話で、
お母さんの形見の黒いマリア像を頼りに、養蜂家の黒人女性家庭にたどり着いて過ごす夏。最後のほうで養蜂家のオーガストがリリィに言ってきかせる言葉。 

「マリアは心の中にいる。 マリア象の中じゃない。自分の中に母親を見つけないといけない。誰でもそう。たとえ母親がいる場合でも、やっぱり自分の中にそういう部分を見つけなければだめ。

リリィの胸の上、脈打つ心臓の上に自分の手を置かせて

「こうしていたって、強さも、慰めも、安らぎも、そのほか生きていくのに必要などんなものでも得られる。ほら、自分の胸で‥」

子供のときからのお気に入り本の
 「わんぱく天使」 著:J.M.デ・ヴァスコンセロス
の主人公が、心の中に鳥やカエルを住まわせていたのも、ふわーっと思い出したり。

ついつい、過去と未来に思考がふらふら~っと飛んじゃうので、「今」に集中です。
でも、あまり難しく考えなくても、なんか楽しくしてたら、それが「今」なんだろうなぁと思ってます。

 


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