なんとかなる日々

なんとなく きげんよく のびやかに。

空模様

今日こそは図書館行きたいなぁと、空模様をさぐっています。
雨雲レーダーではあと30分ぐらいで雨がぬけていきそう。

半年ほど前に人にもらったアクリル毛糸タワシがへたれてきたので、100均でアクリル毛糸を買ってきてチョイチョイとこま編み、長編みと、自分好みのサイズ感の四角いたわし(?)を編んでおりました。それでいきおいがついてきちゃいまして、季節はもう夏なんだけど、編み物熱が再燃してます。余り毛糸と編み針はあるのです。あとは編み方。去年挑戦したアフガン編みが、めんどくさいんだけど楽しかったなぁと思い出してて、でも、編み方は図書館‥ メモを残してなかったかなあと探したけれど、見つかりません。図書館の膨大な蔵書から、もういっかいあの本、見つけられるだろうか、と探索熱もわいております。

 

なんだか、ふわふわと、自分は何でできている?と思考が遊んでいます。
もとは、父の精子と母の卵子で。だから、この身体の中には父も母もおるわけです。考えるとそのもっと先の祖父母(の細胞の一部)もこの身体の中におるはず。ひとりだけどひとりじゃない。で、物理的にこの身体を維持するのに、呼吸して、食事して、運動して、排泄してて、呼吸や飲食でからだに取り込んだあらゆるものが、消化されて分解されてわたしの細胞になってわたしを形作っている。成長ともいい、ある時期からは老いといわれる変化。食するもので気分のあげさげもあって、口にするものを変えると自分も変わるんだろうなぁと、自分の中にあるものをできるだけ全部出しちゃうデトックスというのも清浄感がありそうだけれど、いやいや、常になにかで満たしておきたいぞという充足感もすてがたく、基本、飢餓感には打ち勝てそうにないし、飢餓感に行く前の空腹感を、わたしはのりこえられんだろうなぁ。
あと、経験とか「記憶」があるからこその「わたし」。

さて、今日はなにをして、なにを食べましょうかね。


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