なんとかなる日々

なんとなく きげんよく のびやかに。

「コト」に感情があふれる

時代設定がぽんぽんと飛ぶお話。

マザリング・サンデー 著:グレアム・スウィフト 訳:真野泰 

最近は、魔法にかからないことを魔法使いに重宝される女子のお話とか、78歳の老人探偵とか、リズムのいいものを読んでいたので、一気に別モードのご本となりました。

最初は、メイドの恋物語なのかしらん、と読み始めて、わりと生々しい身体描写で、どうかなぁと思いながら読み進めたら、すごかったです。おもしろかった。

ぽんぽんと時系列が飛ぶので、今、どの「とき」の話なのかを読み解きながら、でも、それがすごくよくできているのです。メイドだった彼女の一人語りで進むのだけれど、その視点もころころとかわって、そのとき、その場にいた人、それに関わる人の考えや思いを「こうだったのでは」と彼女が思いを馳せるのとか。

読んでいて、なんでこんなに静かなんだろう、と不思議な感覚があって、はっと気づいて、途中でまた初めから目をとおしてみたら、やはり、このお話、淡々と「コト」が語られて、語り手の彼女の「想い」がいっさい書かれてないの。

なのに、身を引きちぎられるような感情を感じる。
これはなんだろう? 
そんなこと、いっさい彼女は語っていないのに、私が感じているこれはなんだろう‥‥

 

本当にあったことなのか。いくつもある問いのうち、これが最も深淵な問いだった。

人生はこんなに残酷になることができ、けれどもそれと同時にこんなに恵み深くなることができるのか。

1900年代のお話で、彼女は孤児。 孤児ではあるけれど、しっかりと教育してくれる孤児院で育ち、読み書きができる。実の親がだれかもわからないけれど

もし訪ねるべき母がいたとして、この日の経験を彼女は経験することができただろうか。まだ本人も知らぬこの先の人生を彼女は送ることができただろうか。彼女の母に知り得ただろうか‥母としてとんでもない選択をしたときに、実は娘に幸運を授けていたことを 

 ただ、この世に送り出してくれたことへの想い。
文中で、浮き浮きするような暖かな空気の中で風を切って自転車を漕ぐシーンがあって、 

自分自身の母であるかのように、彼女は自転車に乗ったあの女の子を生涯忘れない。ただし、この女の子のことは誰にも言わない。一言も言わない。

 「リリィ、はちみつ色の夏」著:スー・モンク・キッドの

「マリアは心の中にいる。 マリア象の中じゃない。自分の中に母親を見つけないといけない。誰でもそう。たとえ母親がいる場合でも、やっぱり自分の中にそういう部分を見つけなければだめ。

 が頭をよぎりました。
主人公が何度も何度も思い返すこと。何が本当のことだったのか。自分が妄想したことではないのかと勘繰ったり。たしかに、そのとき、何が起きたのかって、自分にとってはそうだけど、周りにとってはそうじゃないこともあって、人と話していてびっくりすることなんて日常茶飯事。

ことばはことばにすぎないということを理解していなくちゃね。

こんな風に所感をしたためても、それは、わたしにとってのこと。

真実を語るというのは一体どういうことなのか。人生にはどうしても説明のつかないことが多くある、わたしたちが思っているよりずっとずっと多くあるという事実に誠実であることです。


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