なんとかなる日々

なんとなく きげんよく のびやかに。

玄冬小説

青春って25歳ぐらいまでで、そのあとにも朱夏、白秋という時代があって、75歳ぐらいからを玄冬というそうです(区切り方は諸説あります)。

で、「おら おらで ひとり いぐも 著:若竹千佐子」を読みました。
図書館で半年ぐらい待ちまして。帯に”芥川賞受賞、玄冬小説の誕生” と謳われていました。わたくし、おんな子供が活躍するお話しが好物なんですけど、老いるってどんなんだろうって、老人がでてくる小説もあれこれ探して読んできています。知らないことへの不安、予習みたいな感じかなぁ。

青春については、小学2年生ぐらいからマンガとかでも、いやというほどロマンスを学習(?)するわけですよ。恋に恋するっていうか。ハーレクイン小説とか頬染めて読んだ時代もありましたねぇ。でも、老いることってあまり目にしなくて。アンテナをはって、あれこれ読んでいます。いわゆる老人もののご本もたくさんあります。でも、それを「玄冬小説」っていうってのは、初めて知りました。「チックリット(若い女性のお話)」という分類も、ついこないだ知ったばかりです。

さて、この「おら おらで ひとり いぐも」。なかなか読み応えありました。東北弁で延々と一人語りです。15年前に31年つれそった、むっちゃイケメンの夫を亡くして、子供2人も育て上げて独居している桃子さんが主人公。脳内会議は「脳内ポイズンベリー 著:櫻井いちこ」とか、「高台家の人々」の妄想マンガとかでもありますね。これはいわゆる老女の頭の中でたくさんの声がわしゃわしゃ騒いでいる状況。独りだけど、独りじゃない。ムーミンのにょろにょろみたいな存在を「小腸の柔毛突起のように」と表現されていて、わかりやすい。

あいやぁ、おらの頭このごろ、なんぼがおがしくなってきたんでねべが
どうすっぺぇ、この先ひとりで、如何(なんじょ)にすべがぁ
如何にもかじょにもしかたながっぺぇ
てしたごどねでば、なにそれぐれ
だいじょぶだ、おめには、おらがついでっから。
おめどおらは最後まで一緒だがら
あいやぁ そういうおめは誰なのよ
決まってっぺだら。
おらだば、おめだ、おめだば、おらだ

てのから始まって。わたしの周りには東北弁の方がいないので、新鮮。ドラマの「同期のサクラ」が重なります。

惚れ抜いた男や、大切な子供といえど、

人のために生ぎるのはやっぱり苦しいのす。伸び伸びど羽を広げたい。空を自由に飛び回っていだい。それは誰もの本然の欲求だど思う。

自分が業が深い、エゴだ、と悔い悩みながらも、

人は独り生きていくのが基本なのだと思う。そこに緩く繋がる人間関係があればいい。

といいながらも、人恋しくて、日向の匂いがする ばっちゃの前掛けに顔をうずめて泣きたいと思ったり。46億年の地球の歴史(?)が好きで、ノートに書き溜めていて

46億年。つないでつないで 今、おらがいる そうまでしてつながっただいじな命だ、奇跡のような命だ おらはちゃんとに生ぎだべが

おらは後悔してねのす。見るだけ眺めるだけの人生に それもおもしぇがった。おらに似合いの生き方だった。んでも、なしてだろう、こごに至って、おらは人とつながりたい、たわいない話がしたいほんとうの話もしたい、ああそうが、おらは、人恋しいのが

脳内会議は、わたしの頭の中でも常に繰り広げられているけれど、人恋しさっていう点では、ネットに大分と助けられていると思います。独りでいながら、独りごとのようなあれこれに、誰かのレスポンスがもらえるこの環境って、すごく恵まれている。
そして、一緒女子といえども(笑)、直接誰かと話せる環境に、今あることも。


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