なんとかなる日々

なんとなく きげんよく のびやかに。

愉快に生きるには

知らないこと、わからないこと、理解できないことに直面すると、攻撃モードに入ります。ついね、つい。どうしてなんでしょうねぇ。
「そんなん聞かれたって、わからへんわ」とか「ちゃんとわかるように話してや」とか「それ、わたしと関係あることですのん?」ていう感じ。
よくよく話を聞いて理解できたとき、「あ、なんや、そうやったんや」とふわんとなる。それほど大仰なことでもないことが多い。
わたしのGateがすぐに怒りのモードになるのは、なんだろう。知らないこと=怖い、なんだろうな、と思う。怖いから戦闘態勢をとる。うん、小心者ですね。
これは、なおるのかなぁ。

ブッダが教える愉快な生き方 著:藤田一照」に、けして思い通りにならない人生を愉快に生き抜いていくために不可欠の能力として

未知なものをすぐに既知なものに変え、安心しようとせず、尻込みしないで未知なものに直面し、そこから立ち上がってくることを待ち、受け止めることのできる力。

て書かれていて。

人が不確実さとか不可解さとか疑惑の中にあっても、事実や理由を求めていらいらすることが少しもなくていられる力

ていう「しない力」についても書かれていて。

問題を早く解決しようと焦るんじゃなくて、今ここで実際に起きていること、それはこの宇宙でたった1回きりの未知の出来事で、すべての感覚機能を解放して、その無限の豊かさと出会い続けていくこと、それを体験して自分の人生を自由に生きる。

人は縁起として存在していて、状況から切り離されて存在しているのではなく、状況それぐるみのものとしてあること。そういう生き生きとした自己を、全身的に直に学ぶこと。その自己を学ぶってことが、愉快に学び続ける人生の過ごし方じゃないか、と。

巷でよくある「自分探し」と似てるようで全く非なる本道ですかね。

まぁねぇ、コトに焦って対処していても、あまりいいことってなくて、ゆったり構えていると、どこからか助け手が現れてなんとかなっていく、ていうのは感じるところでもあります。これは、私には「さぼる」感覚なんだな。つい「せなあかん!」と飛び出していきそうになるのを、まぁまぁとおさえる。この半年、それを身につけようとしてたんだよなぁ。ひとりでせかせかせずに、この半年の修行の成果をここで試せってことかもしれんなぁ、と明日(月曜日)にむかって力を抜いております。イメージは陸上選手が位置につくまえに、ぴょんぴょんしてる感じかな。あ、あかん、それ、全力疾走する前段階やん‥とイメトレの練習からわたわたしております。


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