なんとかなる日々

なんとなく きげんよく のびやかに。

おいしいビールを飲みながら

こんだけ暑いとビールがおいしい。
カフェの珈琲より ハッピーアワーの生ビールのが安いのよねぇ‥てことで、昼間っからお店でビール、飲んできましたよ。冷やかし1杯と決めて、読みかけの本をもって、夏の明るい陽射しの中、カウンターから通りが見える席に座って、クラッカーとチーズをあてに、くぅーっと涼んできました。

持ち込んだのは「誰かが手を、握っているような気がしてならない 著:前田司郎」。
このご本、ちょっと独特で 2-3ページで読むのをやめようかなぁと思ったんです。段落なく、ふわふわーと語り手がどんどんと変わるので、誰の視点で語られてるのかわからなくなって大混乱。頭がしんどい‥ま、それさえも作家さんの狙ってる所かぁと、だんだんわかってくると、おもしろくなって最後まで読了しました。

「どうやら私は神のようである」っていう、神のモノローグから始まります。

で、神が人を創ったんじゃなくて、人が神を創ったんだ。神は全知全能だから、なんでもできちゃう。「出来ない」が出来ない から ゲームにならない、つまらない、あんまり暇で、死んでみたい、どうやったら死ねるかを考える。神が人の創造なんだったら、人類を絶滅させれば自分(神)も死ねるんじゃない?とか、ぐるぐると考えてる。

あと、父母娘二人の登場人物がでてくるんだけど、それぞれが語る内容のところどころに、私のツボに入る面白さがあって、ビールを飲みながら「ぷっ」とつい声をあげて笑っちまいました。

母が夫のことを、盤石な樹であってほしいのに「私たちの寄った樹は大樹などではなく、なんかの苗木か下手したら良く茂った草みたいなもののように思える」とつぶやいてたり、長女が数学の授業中に教師の髪型を見ながら「髪は七三なんだか六四なんだか、八二なんだか、数学教師のくせに割り切れない髪型で、頭に毛が多すぎる‥ほんっとつまんない。テレビだったら消してる。」と考えてたり。

あとはわたくしの好物の、言葉とか時間とかのことを

言葉は一人じゃないと思うための仕掛けでしかなく、言葉を使うのは一人じゃないと思いたいからだ。一人じゃないと思いたいのは一人だからで。

名前をつけることで、小さく区切られていく。名前は言葉。

もしわたしに名前がなかったら、誰からも名前を呼ばれなくなったら‥だからといって、わたしが無くなってしまうわけでもない。

とか、親が子供のことを考えるのに、わたしの一部と思いながら

もっとも芯の、何の飾りのついてない一番純粋な自分の部分にあの子たちは含まれていない。

と考えているのとか。

で、その中で、この本のタイトルの、誰が誰の手をにぎっているのか、ていうのが、おぼろげーにわかってくるっていうミステリーみたいにもなってる。
なんとも不思議な面白いご本でした。


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