なんとかなる日々

なんとなく きげんよく のびやかに。

豊かさって?

「バビロンに行きて歌え 著:池澤夏樹」を読んだとき(今から26年も前だ)、このご本は、中近東から密入国してきた青年が主人公なんだけど、その青年が生まれ育った日常には戦争があって、日本に密入国したその日に、橋をひとつ渡るだけなのに、どこからか監視されて銃撃されるのではと、橋のたもとで息を潜めたりしているのとか、あぁ、日常ってこんなにも違うんだ、と日本で暮らしていたら思いもよらない感覚が衝撃でした。

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この間、ハイパーハードボイルドグルメという番組をやっていて、ケニアのナイロビでゴミ漁りで生活している青年の食事をレポートしていて。その日に拾ったゴミをお金に替えて、そのお金で米と豆を買い、ゴミ山にある空き缶を洗って、買った水をいれて、ゴミの可燃資材(スポンジとか)を燃やして、その火自体もゴミの発火を利用して着火して。案内してくれている通訳の現地のおじさんがゴミ山で、「スイカが生えてる」「これはかぼちゃ」「これはトマト」と、ゴミの中からでも生えてきている小さな緑をみてコメント。日本語を通訳できるほどの人が、ぱっとそこに生えている農作物に気づく。近代化されつつも、それぞれがずっと食に近い。

衝撃的だったのが、民放なのでCMが入るのだけれど、パッと画面が 「今を生きる楽しさを!」と白く明るい日本の通販のコマーシャル画面に変ったとき。なんだかとても複雑で。思わず声をだして笑い(苦笑)がでていました。

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 凪のお暇というドラマも始まって、こちらもOLを勢いで退職して安いアパートに引っ越して、環境を変えた主人公が、同じアパートに住む高齢女性の、自動販売機の周りでお金を拾ったり、パン屋さんでパンの耳をもらったりしている姿に「あぁなっちゃだめだ」と自戒してたのが、その高齢女性が、汚部屋かと思いきや、すっきりとした部屋でプロジェクター映写で映画を楽しんでいる暮らしをみて「日々を工夫して楽しんでる」ことに目をみはったり。

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豊かさってなんだろう。

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限界費用ゼロ 著:ェレミー・リフキン 訳: 柴田 裕之」では、

「人間の価値はほぼ絶対的に当人の財やサービスの生産高と物質的な豊かさで決まるという考え方そのものが、原始的に、いや、野蛮にさえ思え、人間の価値をひどく減じるものとしてしかとらえようがなくなっていくだろう。」とか

「富とそれに伴う消費のさらなる増加は‥ある段階を境に幸福度はなんと反転して人々はしだいに幸せではなくなっていく。富の蓄積は心の重荷となり、浪費が常習化し、その精神的見返りがわずか」

「貧困は絶望を生むが、富の増加もまた、ささやかな快適さが得られたあとは、絶望を増大させる。蔓延する物質主義は幸せを増すどころか、人々をいっそう疎外し、恐れを抱く不信感に満ちた孤独な存在にしてしまう。」

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わたくし、何かを見たり、読んだりすると、記憶にあるいろんな思考が呼び起こされて、いろいろとまた考えていくクセがあります。考えてばかりだなぁ‥と。自分が中島敦沙悟浄と同化していくように思えて仕方ない。ま、もうちょっと、背に腹は代えられない状況になるまで、好きに思考を遊ばせてみます。自分の中の「何かせねば」が「何かしたい」に変わるのをじっと見つめてる感じですねぇ。


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