なんとかなる日々

なんとなく きげんよく のびやかに。

極楽っておいしいの?

著:中島敦の「悟浄歎異」を読んでいます。
わたくしの世代だと、西遊記というと、ドリフの人形劇と、堺正章孫悟空やってて、テーマソングはゴダイゴじゃないでしょうか‥あら、悟空と書くと脳内にはドラゴンボールのイメージがすぐでてきますね、恐るべし鳥山明‥もとい‥

「悟浄歎異」はね、沙悟浄(さごじょう)、西遊記のかっぱですね、その沙悟浄のモノローグで語られる物語なんですけどもね、沁みるんです。もりだくさんです。

八戒(ちょはっかい)という豚のキャラクターがいますよね。その著八戒が、「この生、この世を愛している。嗅覚、味覚、触覚の凡てを挙げて、この世に執している」と語るくだりがあって

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なんのために天竺へ行く?来世に極楽に生まれんがため?ところで、その極楽とはどんなところだろう。蓮の葉の上に乗っかって、ただゆらゆら揺れているだけでは、しょうがないじゃないか。湯気のたつ羹(あつもの)をフウフウ吹きながら吸う楽しみや、こりこり皮の焦げた香ばしい焼肉を頬ばる楽しみがるのだろうか?そうでなく、仙人のようにただ霞を吸って生きていくだけだったら、あぁ、厭だ、厭だ。そんな極楽なんかまっぴらだ。たとえ辛いことがあっても、またそれを忘れさせてくれる、堪えられぬ愉しさのあるこの世がいちばんいいよ。少なくとも俺にはね。と、自分がこの世で楽しいと思う事項を一つ一つ数え立てた。
 夏の木陰の午睡
 渓流の水浴
 月夜の吹笛(すいてき)
 春暁の朝寝
 冬夜の炉辺歓談

なんと愉しげに、また、なんと数多くの項目を彼は数え立てたことだろう。

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で、沙悟浄は「この世に斯(か)くも多くの怡(たの)しき事があり、それを又、斯くも余す所無く味わっている奴がいようなどとは、考えもしなかった」と八戒の享楽主義に呆れ、感歎しつつ、その著八戒の心の底には、沙悟浄と同じように「戦々兢々と薄氷を履むような」思いで「幻滅と絶望との果てに唯一筋の糸に違いない」と、著八戒もこの天竺への旅をしていると考察してる。

沙悟浄は自分のことを「観察者」としてとらえていて「行動者」になれないと逡巡していて、「悟浄出世」の章ではひたすら「こたえ(智慧)」を求めて、水中の数々の妖怪のもとへ教えを乞うてさまよったりする姿が描かれていて、なんともせつない。

中島敦って、1909年生まれで、この悟浄出世や悟浄歎異を1942年に発表しているんですよね、当時33歳。で、発表した年に亡くなっていらっしゃる。今(2019)から77年前。


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