なんとかなる日々

なんとなく きげんよく のびやかに。

ことばの霊的な力

金曜日の朝です。予報通り、雨 降ってきましたねぇ。降り始めの今はまだ、しっとり~ とほっとした感じです。

さて、コミュニケーションにかかせない「ことば」にまつわること。著:内田樹の「死と身体」に、ことば関係の大御所、白川静梅原猛(※)も登場。このお二人となると、そう「呪の思想」ですね。その「呪の思想」の抜粋からも考証されています。

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中国の古典の詩には6種類の形態があります。そのなかの「賦」という形態があって、白川静梅原猛に説明したこと。

「賦」というのは、たとえば山の美しい姿をみて、山の茂み、あそこの谷の具合、あそこの森の深さ、という風に色々山の美しい姿を描写的に、数え上げるように歌ってゆく。その歌うことによって、

単に歌うことが目的ではなくて、その対象の持っておる内的な生命力というものを、自分と共通のものにする、自分の中に取り入れる。

例えば病気になった場合にね、大河の流れの凄まじい姿だとか、海の波打つ姿だとかね、花の咲き乱れる姿だとか、こういうものを文学的に色々美しく歌い上げる。それによってその病気を治すというやり方がある。色んなものを歌い上げて、歌い上げた言葉の力でそういう歌われたものと、いわば霊的に交通する力がうまれて、それがこっちの方に作用して病気が治るというね。そういうものが本来の「賦」なんです。~呪の思想

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「音」っていうのは目に見えなくて、発せられる「ことば」や「音楽」は見えないけれど「ある」ことを感じられるものですよね。そこに霊的な力があるというのが好きです。「霊」というと、ちょっとあやしい部類にはいってくるのだけど、音は確実にありますもんね。目に見えないけれどあるもの。WiFiとか、電線を通ってやってくる電気だってそう。わたしにも実感できる。そこに「力」があるというのは信じられるんですよねー。それをこうなんていうか、うまく取り入れられるといいんだけどなぁ。

※梅原先生は、私の在学中に、わたくしの母校の学長というちょっと嬉しいご縁です。


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