なんとかなる日々

なんとなく きげんよく のびやかに。

自分を好きになる

そもそもに自分自身が 自分の好き嫌いの対象になるのか。
学生時代、ちょっと格好つけの子が「オレは自分のこと好きやない」とのたまったときに、何も考えずに「自分のこと好きやない子ぉは 他のひと 好きになれへんのんちゃう?」とツルんと返してしまって、すごく変な顔をさせてしまったことがあります。
今思えばキツい一言やったかなぁと反省してます。

わたしは、自分のことが自分でよくわかってない という自覚が 16-7歳ころに芽生えまして、まずは、自分の好きと嫌いを自分でちゃんとわかるようになろう、とひそかに自己訓練をしていました。お友達が「これかわいい~」というのが、いつも いまひとつわからなくて、その子たちが「いい」というものが、自分にとって「いい」と感じるものなのかどうか、流されずに自分でちゃんとわかっていなくては、と思ったのですよね。

今思えば、「いいね~っ(〇〇ちゃんはこれ好きなんやねー)」と場を壊さないように一緒に盛り上がる、とか、「わたしはこっちのほう、これいいと思うねーん」と自分の楽しいことも主張するとか、そういうのができればよかったんですよねー。

訓練方法としては、女子高生として行きつけ(?)となっていた雑貨文具店とかに行って、買う買わないではなくて、「これは好き?」「これは嫌い?」と自問自答したり(ただのひやかしですね、これ)、大学に入ってからは、美術科の作品展示が常にどこかにあったので、それを見て「これは好き?」「これは嫌い?」と自分に問い続けてました。

「好き」は わりとわかりやすくて 「嫌い」と言い切るのは、自分の中だけのことなのに ちょっと怖かった。

で、その好き嫌いって、その理由というか、別のことばで表現しがちなんですよね。
かわいい、色がきれい、形がちょうどいい、触り心地がいい、見てて笑える、
気持ち悪い、汚い、むっちゃなげやり、心こもってない、おもしろくない‥

わたしの中に感情(好き 嫌い)はある。
でも、わたしにとっては、それを感知して言葉にするってことが、ちゃんと意識して訓練しないと「普通」にできることじゃなかったんですよね。今もそうかもしれない。

自分を好きになる、というお題で考えたのは
 自分を誉める?→「鏡を拭き掃除しながら自分の顔をみて”ありがとう”と言う」って言ってたおねぇさんがいたなぁ、とか
 なにかご褒美あげる?→自分へのご褒美を買うとか?アクセサリーとか お洋服とか 雑貨とか ケーキとか?
 自分で自分をねぎらう?→自分で頭をなでで「よしよし」とかやる?
と考えてしまったのですが、

自己肯定感を高めること、と習いました。
さきの格好つけの子みたいに、自分が好きじゃない、という人は「自分を好きじゃない自分がおるんやなぁ」とそれを自分で認めればよいだけだとか。その「自分を好きじゃない自分」がおるから自分がある、そういった自分全部を「よし!」とする肯定感をもつ。

自分の感情って、どう見られるか、じゃないんですよね。
自分がどう見るか。
その見たことをどう発信するか。(もしくは発信しないと決めるのか)
簡単なことかもしれないんですけどねぇ。

 


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