なんとかなる日々

なんとなく きげんよく のびやかに。

世界が「ほれっ」て差し出してくれるもの

「自分」は何でできてるのか、どこからどこまでが自分なのか、なぁんて考え始めると禅問答とか、哲学とかスピリチュアル系になっていって(それぞれを自分なりに探索するのも面白いです)で、その「自分」を取り囲むもの、というので、わたしは「世界」と称しているのだけれど、その「世界」って、「神」だったり「自然」だったり「天使」だったり「守護霊」だったりと、そう呼ばれるものと つながるものかなぁと思ってます。「自分」も「世界」の一部っていう見方もあるので、「きゃー、だから自分ってなにーっ」て、どんどんこんがらがっていっちゃう。いつも、ある程度考えて、わけわからんくなってくると、あとは「考えるんじゃない、感じるんだ!」て万歳(おてあげ)してます。

そして、「世界」は自分が思っているよりも、とても豊かで、自分を大切に守ってくれていて、かつユーモアに溢れている、とますます 日々実感しています。

「王国」著:よしもとばなな に「わたしはいつまでも世界の小さな女の子でいたい」という一文があって、うんうん、と読みました。

他の方のブログを拝見していると、「声にだしてお願いすると、いつも一緒にいる天使が助けてくれる」という説のエピソードがありまして、ものすごく急いでいるときに、ものは試しと声にだしてお願いしたら、目的地までの信号が全部青で、エレベータもジャストタイミングで、遅刻すれすれに滑り込めた、というのがあって、これは、実はわたしも経験ありで、電車に間に合わない~ってときに「信号青になって~っ」て言ったら、上手に駅までノンストップで到着とか。

電車で座りたいなぁと思ってたら 目の前の席があくとか、どうせならかわいい女の子が隣に座るといいなぁと思ってたら かわいい子がくるとか(ちょっとおっさん入ってます  笑)、並んだレジが早く進むとか、レジが遅い時はとてもきれいな夕焼けのタイミングにあえて遭遇できたとか。ささやかでも、ちょっと嬉しいことごと。

子供のときからやってるのは、図書館や本屋さんに行ったときに「こういう本が読みたいなぁ」と思い浮かべながら背表紙をみてると、そういった本が手に入ること。

「ベルリン 天使の詩」という映画があって、その中で図書館にうようよと天使がいる映像があって、「えーーーっ、これこれ、これって自分だけじゃないんやー」とのけぞった記憶があります。

こういうことって、世界が「ほれっ」て差し出してくれてるんだろなぁ、と思います。差し出されているものに気づかなかったところで、世界は太っ腹なので、別に怒ったりすねたりしない。そこは信用して大丈夫。

自分の無意識の部分で快・不快に感じることを、それを意識がちゃんと認識して「ことば」になったところで、意識(身体)の焦点がそこあたって、自分が世界の中にそれを見つける、という、とてもシンプルな流れ。

難しく考えずに、ラクな(楽しい)ほうへ、簡単なほうへ、すい~っと流れていく、っていう練習中です。

 

 

 


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